2016年1月1日金曜日

明けましておめでとうございます

今日は私がここに移り住んで40年、初めて知った地名の由来についての話。

ここの地名は藍住町住吉逆藤(サカフジ)といいますが

先日図書館で「義経阿讃を征く」という本を読んで始めてこの「逆藤」という地名の由来を知りました。

義経はご承知の通り、平氏を討つため屋島攻めのために徳島の小松島に上陸後、

熊山城跡

小松島の新居見城主、近藤六親家の

案内で先ず阿波平家方の

桜庭介良遠の拠る熊山城を攻め落とし、











桜間城跡


次に石井町の同じく桜間文治行直の

桜間城を攻め落として後、













住吉神社

今後の武運長久を祈願するため藍住町の

住吉神社へお参りした。

一行はここで分かれて義経は

板野町の金泉寺へ、









福成寺

弁慶は負傷者の手当てのため

北へ約300mの当時

大きな寺城のあった福成寺へ、

ここで弁慶は馬の鞭代わりに持っていた

藤の枝を逆さまに突き刺し

後から来る馬匹係の津田四郎等への

目印としておいたそう。




それが根づいたのが福成寺の「逆さ藤」といわれたそうです。

この藤は大正末年まであったそうですが、枯渇してしまったようです。

















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