今日は私がここに移り住んで40年、初めて知った地名の由来についての話。
ここの地名は藍住町住吉逆藤(サカフジ)といいますが
先日図書館で「義経阿讃を征く」という本を読んで始めてこの「逆藤」という地名の由来を知りました。
義経はご承知の通り、平氏を討つため屋島攻めのために徳島の小松島に上陸後、
小松島の新居見城主、近藤六親家の
案内で先ず阿波平家方の
桜庭介良遠の拠る熊山城を攻め落とし、
案内で先ず阿波平家方の
桜庭介良遠の拠る熊山城を攻め落とし、
桜間城跡 |
次に石井町の同じく桜間文治行直の
桜間城を攻め落として後、
住吉神社 |
今後の武運長久を祈願するため藍住町の
住吉神社へお参りした。
一行はここで分かれて義経は
板野町の金泉寺へ、
福成寺 |
弁慶は負傷者の手当てのため
北へ約300mの当時
大きな寺城のあった福成寺へ、
ここで弁慶は馬の鞭代わりに持っていた
藤の枝を逆さまに突き刺し
後から来る馬匹係の津田四郎等への
目印としておいたそう。
それが根づいたのが福成寺の「逆さ藤」といわれたそうです。
この藤は大正末年まであったそうですが、枯渇してしまったようです。
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