2016年1月26日火曜日

一昨日の日曜日、

ウチのペットのアトム(チワワ)が

私の仕事場へ上がる階段から落ちたらしく

女房が大声で怒鳴るので急いで降りていくと

なんと大の字になって口から泡ふいて

おまけに舌出して唸ってました。

ありゃ~、こりゃひょっとしたら骨折したかも?

以前に獣医の先生から、犬の骨折だけは

気をつけないと50万位かかると脅されていて、あぁ~あ、コリャ50万ふっとんだ~と

一瞬思ったけど、可愛い大事なアトム君だから銭金には代えられません。

急いで病院へと思ったがよ~く考えたら今日は日曜、電話したけど病院はだれも出ず、

仕方なく寝床へそっと運んで様子見ることに、しかし足をそっと触ってもべつに痛がる風でもなし

これはひょっとしたらタダの捻挫かも?と思って寝かしつけました。

そんなこんなで私も仕事場で仕事していたら、3時間くらいしてなんとドアをガリガリと擦るじゃ

ありませんか、ドアを開けたら飛び込んできて、いつもの調子で走りまわってます。

あの騒動いったいなんだったん、てな感じでピンピンでした。

でも良かった何事もなく(50万も助かったしね)。






2016年1月17日日曜日

今日はフト思い立って脇町”うだつ”の吉田家住宅での

假屋崎省吾氏の「うだつをいける」

華道展を見にいきました。

詳しい内容は私のホームページで発表します。

http://basie.mobi

2016年1月8日金曜日

女房の仕事の運転手かわりで久しぶりの大坂へ、

3時間余りの待ち時間の間、私は久しぶりの大坂城へ行きました。

車は大坂城の駐車場が工事中のため閉鎖されていて、仕方なく民間へ停めましたがこちらに比べ

て駐車料金の高いこと、路上駐車も出来そうだけど、駐禁貼られたら余計高くつくしね。

登城は大坂城ホールのある青屋門から

流石、将軍様のお城でまず圧倒されるのが石垣ですね。

全国の大名の普請で造られただけあってスゴイこと、

わが徳島のお城は殆んどが野面積みで小さな石が多いけど

こちらは綺麗に切りそろえた切込みハギ、それも異常にデカイ。

中には長さ10m位の重さ何百トンもあろうかというデカイ石が

あちこちにあって、こんなもの重機もない時代にどうやって運んだ

のかそれも全国からですからね。

徳川将軍の力は強大だったのだろうと

想像に難くないと感心しきりです。

今日は時間も無いので主に石垣と堀を見て廻りました。

堀でも外堀だけでグルっと廻れば半日位かかりそう。

天守閣や櫓は次回来たときまでおあずけだね。

2016年1月1日金曜日

明けましておめでとうございます

今日は私がここに移り住んで40年、初めて知った地名の由来についての話。

ここの地名は藍住町住吉逆藤(サカフジ)といいますが

先日図書館で「義経阿讃を征く」という本を読んで始めてこの「逆藤」という地名の由来を知りました。

義経はご承知の通り、平氏を討つため屋島攻めのために徳島の小松島に上陸後、

熊山城跡

小松島の新居見城主、近藤六親家の

案内で先ず阿波平家方の

桜庭介良遠の拠る熊山城を攻め落とし、











桜間城跡


次に石井町の同じく桜間文治行直の

桜間城を攻め落として後、













住吉神社

今後の武運長久を祈願するため藍住町の

住吉神社へお参りした。

一行はここで分かれて義経は

板野町の金泉寺へ、









福成寺

弁慶は負傷者の手当てのため

北へ約300mの当時

大きな寺城のあった福成寺へ、

ここで弁慶は馬の鞭代わりに持っていた

藤の枝を逆さまに突き刺し

後から来る馬匹係の津田四郎等への

目印としておいたそう。




それが根づいたのが福成寺の「逆さ藤」といわれたそうです。

この藤は大正末年まであったそうですが、枯渇してしまったようです。